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名古屋高等裁判所 昭和51年(行ス)1号 決定

抗告人

有限会社光楽食堂

右代表者

佐藤隆之

右訴訟代理人

大矢和徳

外一名

相手方

豊橋税務署長

斉藤延一

主文

原決定を取り消す。

本件を原審に差し戻す。

抗告費用は相手方の負担とする。

理由

一抗告代理人は主文第一項同旨及び「相手方は別紙(一)文書目録記載の文書を原裁判所に提出せよ。」との趣旨の裁判を求め、その抗告理由は別紙(二)のとおりである。

二当裁判所の判断

1  一件記録によれば、相手方(被告)は別紙(一)文書目録記載の各文書(以下本件文書という)を所持していること、本件文書は相手方が抗告人(原告)の係争事業年度における荒利益を算定するに当り用いた推計方法の合理性を立証するため、相手方が原審の本案訴訟において既に証拠として提出した乙第一号証の一ないし第二一号証の二の原本であり、いずれも訴外の納税者が申告した法人税或いは所得税に関する申告簿並びにその附属書類であること、相手方は右原本の一部分を隠ぺいしてこれを右乙号各証として提出したので、抗告人は右隠ぺい部分を開示した各原本の提出を求めて本件文書提出命令の申立に及んだものであること、そして右の隠ぺい部分は納税者の氏名又は法人名、納税地や住所地の一部、仕入先、借入金の借入先、役員及び家族の状況、従業員の氏名、関係税理士の氏名、住所等であること、以上の事実が認められる。

2  右によれば、本件文書は、原決定がその理由四、に説示のとおり、相手方がその本案訴訟において証拠として取調べを請求した文書の原本であり、隠ぺい部分はその内容の一部をなしているものであるから、それは相手方が訴訟に提出した右の乙号各証をとおしてその文書の存在を明らかにして自己の主張の根拠としたものであり、まさに相手方が当事者として訴訟において引用した文書に当るというべきであつて、一つの文書についてその一部分の内容を準備書面等において言及していないことを理由に引用文書に該当しないものということはできない。そして、取調のために提出された文書の内容の一部が隠ぺいされているときは、民訴法三二一条一号の文書として、当該訴訟における相手方は原則としてその隠ぺい部分の開示を求めることができるというべきである。

3  そこで進んで、本件文書は納税者が申告した法人税或いは所得税の申告書並びにその附属書類であるから、その隠ぺい部分を開示したこれらの文書を提出するときには、相手方或いは他の税務職員がその職務上知り得た特定の納税者の所得に関する秘密を公にすることになるので、相手方としては所得税法二四三条、法人税法一六三条の規定による守秘義務に違反することになるという理由で本件文書の提出義務を免除されるものであるか考察する。文書所持者の証拠調べの協力義務である文書提出義務は、限定的ではあるが、公法上の義務、訴訟法上の義務として証人義務と同じ性格を有するものであるけれども、民訴法三一二条一号の当事者がみずから引用した文書については、証言拒絶に関する民訴法二七二条、二八〇条、二八一条の規定は類推適用されず、たとえ守秘義務のあるものであつても提出義務は免除されないと解すべきである。けだし、民訴法三一二条一号で当事者がみずから引用した文書について提出義務を認めたのは、もつぱら訴訟において当事者は実質的に平等であらねばならないという基本的要請に基づくものであり、当事者が訴訟においてその所持する文書をみずから引用して自己の主張の根拠としながら、秘密の保持を要請されているからといつてその提出を拒否するのは当該訴訟における相手方、本件について言えば抗告人の防禦権を侵害するばかりでなく、訴訟における信義誠実の原則に反し、文書を引用してなした相手方の主張が真実であるとの心証を一方的に形成せしめ適正な裁判を誤らしめる危険さえ包蔵しているのでこれを抗告人の批判にさらすことが採証法則上公正であると考えられるからであり、そしてこのような場合秘密の保持を要請されている内容の文書であるにもかかわらずこれを訴訟維持のために敢えてみずからの主張の根拠にした当事者は、該文書についての守秘義務を遵守せず、それによつて得られる秘密保持の利益を放棄したものとみなされるべきだからである。もし右当事者においてあくまで秘密保持の利益を保持しようとするならば、一部を隠ぺいしなければならないような文書を書証として提出することは断念すべきであろう。

4  以上のとおりであるから、原決定が本件文書を民訴法三一二条一号にいういわゆる引用文書に該当するとしながら、相手方は守秘密義務を理由にその提出を拒むことができるとして、本件文書の提出命令申立を却下したのは違法であるから、これを取り消すこととするが、提出命令の許否の決定は訴訟指揮に関する決定の一つであつて、受訴裁判所が訴訟の進行に応じて判断すべき事項に属するものであるから、未だ本件提出命令申立の必要性について原裁判所の判断を経ていない本件においては、受訴裁判所である原審をして訴訟の進行状況、立証の必要性の観点から本件文書各々について逐一本申立の許否を判断させるのが相当である。

よつて民訴法四一四条、三八六条、三八九条により本件を原審に差し戻すこととし、抗告費用の負担について同法八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(丸山武夫 杉山忠雄 高橋爽一郎)

別紙(一)

文書目録

一、文書の表示

乙第一号証の一乃至乙第二一号証の二の各原本、ただし右各書証中秘匿部分を開示したもの

二、文書の趣旨

乙第一号証の一関係

豊橋市西口町所在の某法人の自昭和三八年五月一日、至昭和三九年四月三〇日までの事業年度の所得金額法人税額の確定申告書〈以下、省略〉

別紙(二)

抗告の理由

一、原決定の趣旨

本件申立をいずれも却下する。

二、原決定の理由

要約すれば、本件各文書秘匿部分は民訴法三二一条一号の「引用文書」に該当するが、右秘匿部分は青色による法人税確定申告書等のうち申告者の住所・氏名欄がほとんどである。民訴法第三一二条の文書提出義務は、裁判所の審理に協力すべき公法上の義務であり、基本的には証人義務・証言義務と同一の性格のものと評されるから、文書所持者にも同法二七二条、二八一条一項一号等の規定が類推適用され、文書所持者に守秘義務のあるときは、右文書の提出義務を免れる。被告は右秘匿部分につき所得税法二四三条、法人税法第一六三条等の規定により守秘義務があるから文書提出を拒否することできる。

三、原決定の不当性

1 原決定が民訴法第三一二条文書提出義務について同法第二七二条、二八一条一項一号の各規定の類推適用があると認定したのは法令の解釈適用を誤つたものである。

同法第二七二条、第二八一条一項一号の各規定は公務員たる証人が法廷において訴訟当事者より職務上の秘密に付き訊問を受けた場合証言を拒否することができると定めているのである。本件においては被告(証人ではなく訴訟当事者である。)が積極的に事実立証をするために証拠調を訴求した書証のうち一部秘匿部分の開示を同法三一二条に従い求めるものであつて、同法第二七二条、二八一条一項一号の証言義務の場合とは大いに性質を異にするものである。しかるに原決定は同法三一二条の定める文書提出義務は基本的に証人義務・証言義務と同一の性格であるから同法二七二条、二八一条一項一号の類推適用があると認定したが、これは右法条間の明確な差異を見落すものであつて極めて不当である。

真実発見の重要性を強調する民訴法訴訟手続において同法二七二条、二八一条の存在は極めて例外的位置にあるから右各法条の安易な類推適用は避けなければならず、同法三一二条の場合に準用するとの明文がない以上類推適用は出来ないものと解釈すべきである(同趣旨判例東京地裁昭和四三年九月一四日決定判例時報第五三〇号二〇頁)。

2 原決定説示のとおり同法第三一二条の場合に同法二七二条、二八一条一項一号の類推適用が可能としても同法第三一二条一号「引用文書」の場合には類推適用出来ないものと解釈すべきである。何故ならば当事者が訴訟において特定の文書(たとえ一部を秘匿していても)の存在を引用して自己の主張の助けとした以上、該文書の秘密保持の利益(守秘義務)を放棄したものとみなすべきだからである。よつて被告が本件文書の一部を秘匿しながらもそれを引用した以上事後秘密保持の利益を放棄したものとみなされ、文書提出申立に対して守秘義務を理由として拒むことはできないと考えるべきである。民事訴訟手続においてもクリーンハンドの原則、禁反言法理の適用は肯定されるべきであり、被告が書証の一部分を自己に有利な証拠としてその余を秘匿したまま取調請求をし、原告のする秘匿部分の開示提出申立に対しては職務上の秘密を理由としてこれを拒み得るとすれば、得手勝手な立証を許すこととなり、採証上の合理性は失われ事実発見は著しく困難となる。斯る被告の提出拒否はクリーンハンドの原則、禁反言法理に反しており許されるべきではない。よつて原決定は法令の解釈適用を誤つている。

原告は被告の主張する職務上の秘密の存在を争うものであるが、仮りに存在するものならば、被告は守秘義務に従い、たとえ一部秘匿しても本件書証を提出することが出来ない筈ではないか。守秘義務が存在する場合にはたとえ一部を秘匿しても該書証の証拠調請求は出来ず、証拠調請求をするのならば、一部秘匿は許されず書証の全体の取調請求をしなければならないとすることがクリーンハンドの原則・禁反言法理に照して正当なことである。原決定は原告の右主張につき判断することなく却下決定したのは判断遺脱の違法がある。

3 原決定は原告が提出命令申立した本件書証の秘匿部分の全部につき職務上の秘密性が認められるとしたが、事実誤認である。原決定は被告の主張を鵜呑みにして、個々の秘匿部分につき職務上の秘密に該当するか否か証拠判断をしていない。

そもそも被告は当初秘匿部分につき統一性のない旧乙号証の一乃至二一を提出したが、原告の昭和四五年一〇月二九日準備書面によりその不統一性を指摘されるや、あわてて秘匿部分を変更した新乙号証を提出して旧乙号証を撤回したいと申し出た。このように被告においても何が職務上の秘密なのか全く理解してはおらず、裁判所において厳密な証拠判断が必要とされるところ原決定は個々の書証につき理由を明示せず全部につき職務上の秘密性を認めたのは理由不備、事実誤認の違法がある。

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